許せばいいってモンじゃない!

許すな、というわけでもないのですが。
人は寛容であることを美徳にしがちだけれども、私は必ずしもそうではないと思うのです。(僻みです。)

人の意見を肯定することが、もしくは否定すること”が”いいということはありえません。
大事なのは黙るべき所でだまり、伝えるべきところで伝えることです。
正しいか正しくないかは誰が決めることでもなく、誰に憚られることでもないのです。

寛容であるということは、言い換えれば人とラインが少しずれているということにほかなりません。
他と同じなのが正義。人と違うのは悪、と言いたいわけではないのです。
ですが、寛容であるという体を言い訳に使い、否定すること、怒ること、叱ることから逃げてはいけません。

大事なのは塩梅であるべきです。
何かに偏り過ぎた人間を人は天才と呼びますが、私は天才が嫌いです。

自分が何か意見を持つ時、それが常識的、あるいは持って当然と認められる範疇にあるのか、あるいはエゴと言われるものの範疇にあるのか。
加えてそれと衝突している相手の意見はどちらの範疇にあるのか
ということを判断する客観的な視点や線引きなんてそうそうあるものではないと思います。
そこから、
なんだ、みんな自分に見えている物から自分の意見の妥当性を声高に叫ぶばかりじゃないか。
と考え、何もかもをアホくさく思ってしまうのもまた仕方の無いことと自分は思います。
寛容であることとはまた違いますが。

>>じらいさん
エゴだ、どうだ、ということを言及されるかたは必ずいらっしゃいますが、そもそも意見するという行為に着目した場合、エゴでないと言える方が気持ち悪いのではないでしょうか。
自我を持たない人の意見など意味ないですし、そこに重みもないと私は思っています。

意見の内容が客観的であるか、主観的であるかはどうでもよいのです。
その意見を「何のために述べているか」が重要視されるべきなのです。

そうですね。おっしゃる通りだと思います。

>>じらいさん
押し付けがましいと思われてしまうのは仕方がないことですし、そのとおりなんですけどね。
こういう考え方もある、と軽く考えていただければ嬉しいかなと思います。

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